カトリック由比ガ浜教会

〒248-0014 神奈川県鎌倉市由比ガ浜1-10-35 代表TEL:0467-22-2269  FAX:0467-24-4124

【マリオ神父様メッセージ】

 

「死者の月」2019年11月

 数年前、友人からとても悲しい手紙が届きました。50歳になったばかりの奥さんの急死を知らせ、次のように書かれていました。『・・・、彼女と共に、私の生きがいは遠くにいってしまいました。今の私には目的がないし、気力も失ってしまいました。落胆して正気を失ったような状態です。全てがむなしく感じます。数日前まで、私は一番幸せな男だったのに・・・。 どうやって30年間の愛が5分で消えるものでしょうか。信じられません! わかりません!・・・』

 

 11月は、教会にとって死者の月で、諸聖人と死者の祝日によって、来世のことを考えさせます。毎日の忙しさに生きているほとんどの人は、死と来世のことを考える余裕はあまりないかもしれませんし、時間があってもたいてい考えたくないでしょう。ところが、好むと好まざるとにかかわらず、この人生は永遠のものではないことを知らされる時が必ず来ます。ある時は長い病床の末、ある時は急に、この人生の旅路の終わりによって、この世のはかなさを感じるでしょう。私たちにとって“死”とは何でしょう。この世の別れにすぎないとしか思わない人は、大変可哀そうな人だと思います。“死”は、別れではあるけれど、キリストの出会いとなる永遠の幸せの門であると思えば、受け止め方は随分違うでしょう。神の前に立った時、悔いのないような人生を送りたいものです。神の裁きの基準はやはり“愛”でしょう。地獄を愛することができない状態であり、天国を愛し愛される状態だと想います。

先ほどの手紙に次のようなことも書いてありました。『・・・私の迷いにもかかわらず、今支えである唯一のことは信仰です。この信仰によって、必ずまた彼女に会える希望、いえ確信を持っています。生きていた時、二人を結んでくれた愛によって、今でも私たちは結ばれ、彼女が私のそばにいると信じ、この深い淵に落ちた私が脱出できるように、彼女は祈ってくれるでしょう。』

やはり、キリストを信じる人の大きな希望はそこにあると思います。この11月の間、特にこの世を去った人のために、また、彼らが私たちを守って下さるように、毎日熱心に神様に祈りましょう。

                            マリオ・バラーロ

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「停 電‼」2019年10月

 

 先月8日の真夜中、台風が関東に上陸して、何十万世帯が停電によって何日も苦しんでしまいました。現代社会では、いかに人間は電気なしで生きていくことが難しいかということを、改めて自覚しました。ところで、人生にもさまざまな“停電”があります。健康を失ってしまったり、大事な人を亡くしたり、家庭がバラバラになったり、商売がダメになったりして困って、人生が暗いものになってしまいます。この苦しみはみんなにとって嫌なものです。イエス様も殺される前の晩、弟子たちに次のようなことをおっしゃいました。

“わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を

 覚ましていなさい。” 

・・・

“父よ、できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせてください。

しかし、わたしの願い通りではなく、御心のままに。”

(マタイ26・38,39)

と言われました。この言葉を読むと、まず苦しみをひとりで耐えるのは好ましくありません。誰かがそばにいることで、その苦しみは軽くなるでしょう。苦しみも喜びも人と分かち合えることは大事です。しかし、支えてくれる人がいなくても、イエス様がそばにおられることを信じれば、また大きな力と慰めになるでしょう。

詩編の言葉で言えば、

“死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。

あなたがわたしと共にいてくださるからです。”(詩編23・4)

つまり、人生の停電に出会う時、人の友情は大事であると同時に、神と共にいるという気持ちも大切ではないかと思います。また、暗闇が訪れた時、心配なことばかり考えるより、祈った方がよいのではないでしょうか。

 

『神よ、私たちの不安な心を信頼の心に、私たちの苦しみを成長するきっかけに。

私たちの涙を受け取ってやさしさに。孤独を祈りに。苦い体験を心の平和に。

私たちの死を復活に変えてくださいますように。』 

と祈れば、停電は終わり、もう一度光が差すことになるでしょう。

 

                            マリオ・バラーロ

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「イエスさまからいただいた処方箋」2019年9月

 

 33歳の頃、よく山登りしたり、有名なお寺や神社を見学したり、あちらこちらを訪ねました。ところが、83歳になると、内科や外科に行ったり、歯医者、眼科に通うことが自分のスケジュールになってしまいました。

お医者さまにはいろいろお世話になっていますが、この際、健康診断を受けようと、イエスさまの診療所に行き検査しました。その結果、具合の良くないところがあると診断され、自分でもそれを心から納得しました。

イエスさまは、まず私の血圧を測りました。そして「慈愛」の血圧がとても低いと言われました。次に体温を測りました。「利己主義」(エゴイズム)の熱が高く、40度もありました。そして心電図の検査では、何本か「愛」のバイパス手術が必要だと言われました。なぜなら、いつの間にか「孤立」していて、心臓に「生きがい」と「希望」が十分に循環していないらしいのです。次に、歩行困難の症状で整形外科に回されました。実際に出会っている兄弟姉妹と「共に歩む」ことができなくなっているからです。確かに「虚栄」或いは「自分の見栄」に、いつもつまずいています。その後、近視が強いので眼科にも行くようにと言われました。確かに私は、周りの人々を見る時、その人の「否定的な部分」しか見えていません。更に耳鼻科にも行きました。イエスさまは、今のわたしには「彼の声」が聞こえていないと診断されました。

イエスさまは優しい方ですから診察は無料で、私はお金を払わなくて済みました。ただ、次のような処方箋を渡されました。

1)毎朝起きたら、「感謝」の水をコップ一杯飲むこと

2)司牧する時、「愛」をスプーン一杯飲むこと。

3)1時間ごとに、「忍耐」の錠剤と「謙遜」のカプセルを飲むこと。

4)寝る前に、「安らぎの良心」の錠剤2錠飲むこと

 

                            マリオ・バラーロ

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「神にお願いしました・・・。」2019年8月

 先日、私の帰国(7月29日)に際し、8月と9月の「道しるべ」の巻頭言を書こうと思い、早めに8月の記事を書きました。「行ってきます」という題で・・・。

しかし、転んで圧迫骨折してしまい、飛行機に乗ることが無理で、帰れなくなってしまいました。一番残念なのは、妹をガッカリさせてしまったこと、そして8月の巻頭言が無駄になってしまったことです。しかし、不幸中の幸いで、ミサと聖書勉強会はできそうなので喜んでいます。
今月のメッセージとして、一つの好きな祈りを紹介したいと思います。

ある日わたしの嫌なところをとってくださるように、神に願いました。

神は言われた。
「嫌なところをとるのは、わたしの仕事ではありません。それはあなた自身でとるべきものでしょう。」


神に、忍耐を願いました。神は言われた。
「忍耐は困難の祈りです。時間をかけて学ぶべきものでしょう。」


神に、幸せを願いました。神は言われた。
「わたしはあなたを祝福しますが、幸せはあなた自身でつかむべきものでしょう。」


神に、苦しみから解放してくださるように願いました。神は言われた。
「苦しみは宝物です。この世の愛着から離れさせ、わたしに近づかせるものでしょう。」


神に、わたしの心を強めるように願いました。神は言われた。
「それは自然に成長すべきものですが、あなたがたくさんの実を結ぶことができるように、わたしはあなたを剪定しましょう。」


神に、わたしの命を喜ばせるように、すべてのものを願いました。神は言われた。
「すべてのものが喜ぶような命を、あなたに与えましょう。」


神に、わたしがイエスのように人も神も愛することができるように願った時、神は、
「ああ、やっとわたしの気持ちをわかってくれた」とお答えになったのです。

 

                            マリオ・バラーロ

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「人が独りでいるのはよくない」2019年7月

 

 先月10日から14日まで多摩市にあるミラノ会の本部で黙想会がありました。11月にも総会が行われる予定です。

その二つの集まりは毎年行われ、ミラノ会の神父様たち15人(9人のイタリア人、2人のインド人、2人のブラジル人)、一人ずつ違った地域で働く私たちにとって、楽しい有意義な集いです。なぜなら、ミラノ会という“家族”に属していることをあらためて実感し、また必要な時、精神的にも物質的にも助けられ、一人ではないことを強く感じるからです。

旧約聖書には“人が独りでいるのはよくない。”(創世記2-18)と書いてあります。その言葉は神がアダムに対しておっしゃたことで、その後アダムにイヴを与えられました。しかし、孤独を満たすのは結婚だけではないでしょう。本物の友を持ち、一つの共同体に属して、人間的な支えを得ることもあると思います。例えば、キリスト信者にとって、教会という共同体に属しているので“神の家族”に属していることになります。その中で親友を見つけるチャンスがあるでしょう。人間は“社会的な動物”だと言われています。他の人とつながりをもたなければ、幸せに生きることは難しくて、だれかを愛し愛されなければ、人生は面白くないことだと思います。家庭を持つ方は、たいてい家庭の中にその気持ちを満足させる可能性があります。でも先ほど書いたように、普通の家庭がなくても誰かと共に自分の喜び、または心配事を分ち合うことができるならば幸いだと思います。教会はそのような場所にならなければ“神の家族”とは言えないでしょう。とにかく本物の友を見つけるのが欠かせないことでしょう。

そして、一番大事な友は、やはりイエス様です。イエス様に対する愛の心を持つことを欠かさないことです。その愛がなければ一番大事な友を失うだけではなく、自分の孤独から救われないでしょう。つまり大事なのは、“イエス様”と、“家族や友人”という支えを見つけることなのだと思います。

                            マリオ・バラーロ

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「6つの心がけ」2019年6月

 

 今月は、毎週のように宗教上の大切な出来事を記念することになります。それは、2日「主の昇天」、9日「聖霊降臨」、16日「三位一体」、そして23日「キリストの聖体」です。みんな大事な祭日ですが、これらについて全部は書けませんので、今月は「キリストの聖体」に焦点を当てたいと思います。

なぜなら第二バチカン公会議以降、ご聖体に対する尊敬を表す態度が少し乏しくなったように感じましたので、次のような事を書いてみました。

宗教改革(16世紀)の時、プロテスタントとカトリックは、「ご聖体」について激しく対立しました。プロテスタントが、ご聖体は、ただキリストの体の象徴にしか過ぎないと主張したのに対して、カトリックは、イエスの言葉と教会の伝統に従って、パンとぶどう酒はキリストの体と御血であることを強調しました。その時代から500年経ち、ご聖体に対してのカトリック信者の信仰は変わっていませんが、キリスト信者でない方が、私たちのご聖体に対する態度を見た時、どんな印象を受けるでしょう。本当に信じていると見えるか、または、そう見えないか、どちらでしょう。これについて、ご自分のご聖体に対する信仰が、どの位の行動をもって表されているかを、次の点から考えてみましょう。

  • 日曜日のミサにあずかるという教会の指導に、どれほどの気持ちを持っているでしょう。負担と感じているでしょうか、または愛するイエス様に出会うのをうれしく感じているでしょうか。

  • ご聖体にあずかることによって、イエス様と他の信者と一致する事が、一番大切な意味があると意識しているでしょうか。

  • ミサにあずかる時、少なくとも始まる5分前にはベンチに座って、心を落ち着かせ「先週はどんな週だったか」「今週はどんな問題があるか」、また「誰のために、何のために祈りをすればよいか」などを思うことはふさわしいでしょう。

  • 聖堂では大きな声を出さず、どうしても話しがある時は小さな声で話すことです。聖堂は会堂ではなく、「祈りの家」と思うべきではないでしょうか。

  • ミサがなくても、用事で教会に来られる時、まずご聖体にいらっしゃるイエス様に挨拶をしてから用事をするべきではないでしょうか。

  • 平日でもミサにあずかったり、ご聖体訪問をしたりすることは、ご聖体への信仰を現わすことになるのではないでしょうか。

 

皆さんが、ご聖体への信仰を持っておられるならば、この「6つの心がけ」を書くのは必要ないかもしれませんが、改めてご自分のご聖体に対する気持ちと態度を考えてみましょう。

                            マリオ・バラーロ

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「日常のマリア」2019年5月

 今月は、マリア様の月なので、マリア様についてチョット書こうと思います。ある本をパラパラとめくっていたら、次の言葉を見つけました。

“聖マリアは、全ての人と同じように、地上での生活において家庭の世話と仕事に追われながら、いつも子と親しく結ばれ・・・”(信徒使徒職の教令より1章)

この言葉を前から何回も読んでいましたが、今回“すごい言葉だなあ”と感じました。

まず、マリア様は雲の上ではなく、地上での生活をしていました。

毎日限られた場所に住み、日常の物に触れたり、使ったりしていました。

隣の人たちと出会い、同じ井戸の水を飲み、夜は一日の仕事のために疲れてしまったことがあったでしょう。おそらく、マリア様も健康の問題、経済的な問題、近所の人たちとの人間関係に惑わされたことがあったでしょう。もしかしたら、ある時ヨセフに仕事がなく、心配して家計や生活をどうしたらよいかお悩みになったことでしょう。また奥さんでしたから、ヨセフとの関係に難しい時も体験なさったでしょう。お母さんとして、イエスの成長を心配したこともあったでしょう。またイエスとヨセフに対して、ご自分がちゃんとやっていけるかと、思い巡らす日もあったかもしれません。この日常のマリア様をわたしは大好きです。

教会では、マリア様の「無原罪」と「ご昇天」をよく強調されています。でもわたしの心を感動させるのは、その“日常のマリア様”です。わたしはキリスト信者として、マリア様を神の母と呼び、敬う気持ちをもって、マリア様の偉大さを尊ぶべきだとよくわかっています。それでも、ナザレにいらしたマリア様に、わたしの心は惹かれます。鍋、機織り、毛糸の玉、洗濯物、聖書の巻物などに囲まれて、悪意のない喜び、失望のない悩み、再会のない別れなどを体験なさったマリア様に祈ってくださるようお願いしたいです。彼女のように神に委ねる心、愛する気持ちを、私たちも単調な日常生活の中に作り上げることができるよう心から祈ります。

どうか皆さんも、ご自分の生活の中心がキリストになるようマリア様に倣いましょう。

                            マリオ・バラーロ

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「復活とピッツァ店」2019年4月

 イタリアのトスカーナ州にあるモンテスクードという小さな町に、ピッツァの店を経営しているリッカルドさんは、アフリカのガンビアの青年(20才)を雇っていました。

それを知った町の多くの人たちはリッカルドさんにいろいろな批判を浴びせるだけでなく、経営を困らせるようなボイコットもし始めました。それがわかった若いガンビアの青年は泣きながら店を辞めようとしましたが、リッカルドさんは“どんなことがあっても、あなたを守る”と言って、店の入り口に“人種差別をしている人は、この店に入らないでください。”というお知らせを出したのです。

このニュースを読んだ時、悲しみと喜びを同時に感じました。人種差別をしている人の狭い心の寂しさと、勇気を出して店の経営が危なくなっても人種差別を絶対認めない人の態度の嬉しさでした。

今月は「キリストの死と復活」を祝っています。このことは、昔の出来事ではないと確信しています。今でも、人を差別するということは、人の内におられるイエスさまを差別し、身体的だけではなく、精神的にもキリストを十字架につけているのと同じことではないでしょうか。このように、どんな皮膚の色であっても、同じ人間であること、神の子であることで、互いに助け会うことは素晴らしいことです。このような人がいる限り、イエスさまは甦ることができるでしょう。

皆さん、私たちはご復活祭をふさわしい心で迎えるために、自分の心を広くして、優越感に浸っている心を追い出し、みなが神の赦しを必要としていることを自覚しましょう。この謙虚な心を持つ人だけがイエスさまの復活を味わうことができると思います。そして、赦しの秘跡にあずかったり、祈りをしたり、経済的に恵まれない人を助けたり、教会から離れた信者やイエスさまを知らない人をミサに誘うなど、それを少しでも実践することができれば、もっと強くふさわし形でイエスの復活を祝うことができるでしょう。

                            マリオ・バラーロ

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「喜んであたえる人…」2019年3月

 “わたしは気候風土のために天国を好みますが、つき合いのために地獄の方を選びます。” この皮肉でちょっと失礼な言葉はマークトウェイン(1835~ 1910年)という有名なアメリカ人の作家が書きました。このちょっと挑発的な言葉の背景には、一つの真実があると思います。なぜなら、信仰している人の中には、いつも真面目で、怖そうな顔をして、微笑みのない、冗談を言わない、楽しみを味わうことをしない、それが信者の生き方だと思っている人がいるのではないでしょうか。アヴィラの聖テレジアも“主よ、暗い顔をして、いろいろな信心をやっている人から救ってください。”と書きました。確かにキリスト教の中心は十字架だと言えるでしょう。しかし、十字架は復活を準備するもので、キリストのきびしい言葉も愛に包まれているのです。 キリスト信者は、暗い顔をして、面白くない儀式に参加して、いつも今を嘆いているような印象を与えない様にすることが大事でしょう。 逆に信仰の証し人として、生活に微笑みと喜びの雰囲気を示すことで、ご自分の信仰の証しになるためだけではなく、人生そのものをもっと楽しくするのではないかと思います。 今月から四旬節が始まります。この時期、教会では、祈り、断食、助け合いなどを勧めます。四旬節はいつも「灰の水曜日」に始まり、その日は断食することになっています。断食というと頭に浮かんでくるのは、「食べない」ことでしょう。でももっと大事な断食があると思います。 例えば、人の悪口を聞かないようにして、良い話に耳を傾けながら喜びましょう。相応しくないことを見ないだけではなく、美しいこと、良いことを見るようにして喜びましょう。人の批判を控える努力をすると同時に、この世に希望を与える言葉を語って喜びましょう。病気と身体の不自由なことばかり話さないで、自分の身体の健康を与えられたことを喜びましょう。 つまりこの四旬節の間、わたしたちの生活にある、嬉しいことを感謝しながら、自分たちの労苦 を喜んで、人のため、神のために捧げましょう。パウロの言葉によりますと、

“喜んで与える人を神は愛してくださる。”(コリント第二の手紙)

 

                            マリオ・バラーロ

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「会をつぶすために」2019年2月

 

 2月24日、由比ガ浜教会では「信徒大会」があります。ご存知のように、大会といっても、たいてい去年の活動、会計報告、新しい役員の紹介、今年度の目標などが発表されます。
数年前、ある雑誌で、ベルギーの看護師の会の機関誌に載っていた面白い記事を読みました。そこに、教会にも当てはまるところがたくさんありましたので、皆さんにも参考までに紹介したいと思います。

 その記事の題は「会をつぶすために」
①集会に参加しないこと。

②参加しても・・・必ず遅れること。
③会の責任者を批判すること。
④責任を取らないこと。やるよりも批判した方が簡単だからです。
⑤責任のある役に選ばれない時、気を悪くすること。選ばれたら何もしないこと。
⑥意見を聞かれたら、いつも「別にない」と答えること。
⑦自分自身は会の活動に協力しないが、時間と労力を惜しまずに捧げる人に対して、

“見栄のためにやっている”と言うこと。
⑧会費を納めないこと。
⑨会に参加する新しい人に無関心であること。
⑩会の機関誌を面白くないと言って読まないで、そこに何も書かない、意見を述べない、よくするための忠告もしないこと。

 

皆さん、全世界のカトリック教会のために書かれたようだとは感じませんか? 私たち由比ガ浜の神父と信徒に当てはまらないように、聖霊の導きと熱意をもって頑張っていきましょう。

                            マリオ・バラーロ

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「ゆく年、くる年」2019年1月

 新年おめでとうございます。

先日、人を迎えに鎌倉駅に行きました。早めに着いたので、人を観察していたところ、改札口の人の出入りがはげしく、その時「ゆく年くる年」と言うことばが頭に浮かびました。(年末のせいだったかな?)今、年始の記事を書こうとして、おそらく皆さんは「行く(行った)年」を思うよりも、くる年がもっと幸せな年であるよう願っておられるのではないかと思います。今年、もし幸せを感じている方がいらっしゃるのであれば、神に感謝してその幸せを他人に分ち合うように努めるでしょう。 逆にもし苦しい状態に悩んでいる方には、次のようなことを申し上げたいと思います。

重い十字架を背負って、身体にも心にも苦しんでいる方は、それを考えるよりも、神にご自分の気持ちを叫んでみてください。そして変えられることがあれば変える努力を、そして変えられないことならば諦める心を作るようにしてみてください。

また、人生が無意味で、人間に対しても神に対してもがっかりしていらっしゃる方はもう一度何かを、誰かを、信頼してみてください。元気が取り戻せるかもしれません。

もし、他人からきびしい目で見られたり、悪口を言われたり、理解されていないと感じる人がいたならば、誰も憎まないで、人を許しながら、ご自分を見直す“チャンス”だと考えたらいかがでしょう。

自然界にならいましょう。 『木は冬を忘れて再びつぼみを待つ。 枝は“なぜ”と聞かないで葉っぱをだす。 鳥は その季節になると巣をつくる。』 これと同じように、「苦しみ」は人生につきものです。

でも、それはいつか終わるでしょう。嵐の後、必ず晴れるようにこの世が思い通りにならなくても、神がそれを与えたなら、それがもっと大きな喜びをくださるためだと信じ、マリア様の祈りに支えられて新しい年を始めましょう。

                                             マリオ・バラーロ

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「欲張りなクリスマスプレゼント!?」2018年12月

    

 12月に入るといろいろなことが頭に浮かびます。人によって違いますが、私は“今年がどんな年だったか”や“イエスの降誕祭”が中心になります。個人的に言えば今年の一番大きな変化は、由比ガ浜教会に赴任したことだと思います。そしてもう一つ、両肩を骨折したことによって、自分の身体が“老体”になってしまったことを強く感じたことです。昨年できたことが今年はできなくなり、皆さんにも迷惑をかけることになってしまい申し訳なく思っています。

 

 ところで、イエスの降誕祭は私にとっても皆さんにとっても、中心的な記念日になると思います。キリスト信者でない人にとっては、“街がクリスマスツリーやイルミネーションで飾られるの日”であったり、“平和の日”であったり、“恋人たちの日”であったりするのでしょうが、やはりキリスト信者にとってイエスの誕生は、まず“人生の道しるべ”であり、私たちの弱さを強めて、悪から救ってくださることだと思います。イエス様が自分の人生の中心でなければ、クリスマスが意味のない日になってしまうでしょう。
 

 “疲れて安らぎと平和を求めるとき、人から理解されなくてすべて辞めてしまいたいとき、家庭がうまくいかないとき、孤独を感じるとき、愛を求めても冷淡さと無関心さにぶつかって絶望的になるとき、人から無視されるとき・・・”そのような時にこそ、馬小屋に生まれたイエス様を思い起こし、愛にあふれる聖家族を考えれば、希望がわいてくるはずです。

クリスマスのお祝いに“プレゼント”は付きものになっています。そうすると、どんなプレゼントを幼子イエスに差し上げたらよいでしょう。たいてい神父は信者に心を捧げなさいと言いますが、しかしよく考えてみると、私たちの“心”は願い事ばかりです。それでも次のような願い事を、イエス様は喜ぶでしょう。
 

『イエスよ、私の心の底にある悪を取り除いてください。

喜びも悲しみもすべて同じようにあなたのみ手から受けられるように。

わたしたちの小さな愛が人の役に立つように。

わたしの知恵と意志をあなたのみ旨にあわせることができるように。

今まで出会った人々をあなたのところに案内できるように。

わたしの愚かさによって躓かせた人をあなたの力によって救ってください。

あなたを信じる人々をひとつにしてください・・・。』


イエス様ごめんなさい、欲張りすぎですか? でも、あなたはそのためにこの世においでになったのでしょう? 私たちは、イエス様がこのようなプレゼントを全ての人に与えてくださる、ということを知っています、だから遠慮なく求めます。

                                                                      マリオ・バラーロ

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「十字架上のキリストって・・・」2018年11月

 

 日本に来て、日本語学校に通っていた時の夏休みに、同じミラノ会の神父がいらっしゃる富士吉田教会に遊びに行きました。午前、ひとりでお御堂に入って祈ろうとしていた時、二人のお嬢さんが入ってこられ、色々見てからそのひとりが、私に次のようにたずねました。「どうして十字架だけではなくイエスがかっているのですか?気持ちが悪くないですか?」

その時まで、そのようなことを夢にも考えていなかったのでびっくりしました。

後でその話を友達の神父に話すと、彼は「多くの日本人は、キリストが架かった十字架をあまり好まない」と教えてくれました。

あの時から、50年以上経ちましたが、今年、由比ガ浜教会に赴任して一番気に入ったのは、お御堂にかかっている大きな十字架でした。お聖堂に一番大切なのは聖櫃にあるご聖体ですが、一番目立つのはやはり十字架です。その十字架を見つめると祈りやすくなります。

そして話すよりも、ただじっと十字架を見つめることは、一番良い祈りだと思います。

その時、すべてをイエス様のみ手に任せることが簡単になります。

今月、教会の伝統に従って「死者の月」です。死者のために祈る月です。

この祈りをしながら、キリストが十字架に架けられたことによって、神の救いが与えられたことを思い出します。 歳をとればとるほど、この地上にいる親しい人たちよりも、神のみ元に戻っている親、親戚、友達、知人のほうが多くなります。

だから、私にとって「死者の月」は暗いイメージではなく、懐かしい思いを感じさせる月です。そして、どんなことよりも、嬉しく感じさせるのは、キリストと出会うことです。その話題に関連して次のような祈りを紹介したいと思います。

この気持ちで11月を過ごせるように頑張って祈りましょう。

『主よ、これほどあなたの無限の光に焦がれるわたしを、

あなたが死なせるわけがありません。

これほど慈しみあったわたしたちの愛が、

永遠に消えてなくなるわけがありません。

これほど 信頼するわたしたちの天の父が、

死んだままにするために子らを召し出されるわけがありません。

だから主よ、この福音をお受けします。

わたしの無理な願いへの、あなたの愛のお返事なのですから。

そうです、死んでなどいないのです。

わたしの大切な人たちは若きものとしてともに生き、

ともに愛することを学び、

ひたむきに過ごしたあの時以上にかれらを慈しむことができるのです。

そうです、いずれわたしも時を離れて共に生きるのです。

あなたの愛と喜びに共にあずかることができるように、

あなたがわたしを待っていてくださり、

かれらがわたしを待っていてくれるのですから。』 

                   

                              マリオ・バラーロ

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「クリック宣教」2018年10月

 

 日本で初めて電車に乗った時、一つ印象的だったことは、車内でほとんどの人が本か新聞を読んでいました。他は、たいてい寝ているかのようでした。そして現在では、大部分の人がスマホに向かって何かを見ています。このような時代、キリストのことを伝えようと思えば、その手段を使わなければ大事なチャンスを失ってしまうことになるのではないかと思います。

 

 こういうわけで、由比ガ浜教会のホームページを、宣教の道具にしようと思い、何人かの方の協力を得て、新しいホームページを作ることにしました。

当初、8月15日の聖母の被昇天(当教会守護聖人)の祝いの時に、新しいホームページを発表できると思っていたのですが、まだ完全に準備ができなかったので、9月中旬の発表になりました。先日、パソコンを開き、新しいホームページを見て、「きれいだなあ」と一人で感心してしまいました。皆さんもどうぞ一度見てください。そして、ぜひ他の人にも知らせてください。ホームページ作成に協力して下さった方々に、心から感謝いたします。

これからもこのホームページが益々良い宣教の道具になるように頑張りたいと思います。そして、毎月新しく更新するには、大勢の皆さんの協力が必要です。

皆さんには自発的にアイデアと記事、そして建設的な批判をお願いします。

 

 このホームページの完成で、私たちのキリスト信者としての役割が終わったわけではありません。すべての人に、イエス様のことを愛してもらうよう、自分の心を育てることが必要です。その気持ちがあれば、人との付き合いの中で、無理なく信仰にあふれた気持ちと、ことばが他人にも伝わると思います。ただ、その気持ちを育てるには、イエス様と親しく交わることが必要でしょう。そのためには、祈りと黙想を欠かさないことです。つまり祈ることです。信仰は神からの恵みです。まず自分のためにも他人のためにも祈ることが一番大事だと信じています。

 

今月はロザリオの聖母の月なので、マリア様の祈りに支えられ、イエス様が私たちとすべての人々から愛されるように祈りましょう。

『主が家を建てられるのでなければ、世を建てる者の骨折りはむなしい。

主が町を守られるのでなければ、命を守る者の警戒もむなしい。』

(詩編127・1 フランシスコ会訳)

                            マリオ・バラーロ

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「新・聖書講座にあたって」2018年8月

 

 旧約時代の預言者は神から離れた民に、回心を絶えず呼びかけました。

洗礼者ヨハネは、ご自分について誰であるかを尋ねられた時、

『私は荒れ野で叫ぶ声である。”主の道をまっすぐにせよ”と。』

(ヨハネ1・23)

また、イエス様はご昇天なさったとき、弟子たちに残してくださった最後の言葉は

『行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。

彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼をさずけ、

あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。』

(マタイ28・19)

 

このような事実をみると、キリスト信者としての基本的な使命は、キリストを人々に知らせることでしょう。その意味で、9月5日(水)10時から始まる新しい聖書講座は、まず、洗礼を受けていらっしゃらない方のために行う予定です。勿論、自分の信仰を、もう一度考えたい信者も参加できますが、未洗礼者が第一の目標です。ですから、この講座は、ただ教会活動の中の一つではなく、教会の使命を果たすための講座であると考えていただきたいと思います。しかし、この講座にキリスト信者でない方を誘わないと、この使命は果たせないでしょう。そこで、皆様の誘いがかかせないことになります。

 

人を誘うことが簡単なものではないことはよくわかっていますが、ご自分の遠慮っぽさを乗り越えて、キリストのためにぜひ頑張っていただきたいと思います。「どうせ、信者にならないから誘わない。」というような気持ちを持たないようにしていただきたいのです。信者になるかどうかは、神とその人の問題であって、私たちの問題ではありません。私たちの使命は、人を誘う事、そして紹介する事です。何人の方が参加されるかわかりませんが、私たちとしては、祈りながら誘ってみることで、他のことは神様に任せましょう。

                            マリオ・バラーロ

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「道をたずねて・・・」 2018年6月

 

 6月に、私の運転免許書更新のため、大船の自動車学校で試験を受けることになりました。

私はその学校の場所を知りませんでしたので、数日前に、その場所と所用時間がどの位かかるかを調べるため下見に行きました。その時、日本人の親切な気持ちを体験しました。初めに大船に行く電車はどのホームかを一人の年配の男性に聞くと、彼は一生懸命に教えてくれただけではなく、わからない英語で説明しようとしました。

また大船駅について、自動車学校に行くために、どこに出たらよいかと、一人の本を読んでいた青年に聞くと、「まっすぐ行けばわかるでしょう」と言えば済んだことを、わざわざ立って案内しようとしました。駅から出て、道に迷ったので、別の青年に聞くと、彼はスマートフォンを出して、慌てて調べ、「川を渡って右へ行きなさい」と言いました。しかし、ちょっと違うなあと疑問を感じたので、一人の女性に聞いてみたら、「その道は違うよ、川を渡ってはいけない」とおっしゃった時に、前の青年が走りながら、私を追いかけてきて、自分の過ちを詫びながら正しい道を教えてくれました。

 

 この日は、素晴らしい親切な4人に出会い感激しました。20年のオリンピックの影響かどうかわかりませんが、とにかく考えさせられました。つまり、フランシスコ・ザビエルを初め、宣教師、キリスト信者の皆さんは、日本人に「愛の心」を教えるだけなら、余計なことのような気がします。キリスト信者は、勿論、人を愛することを教えるべきですが、それは仏教でも、まじめな人の気持ちでも自然なことだと思うのです。ですが、「宣教」というのはそれ以上伝えないと、私の使命は無駄かのように思ってしまいます。

キリスト信者にとって、人に伝えるべきことは最終的に一つだけでしょう。それは「全ての創り主である唯一の神の存在、その神が人間になって、すべての人の罪を許すために十字架につけられたこと」、つまりイエスへの信仰に満ちた愛を通して、私たちの人生には希望があり、来世には幸せがあるということを伝えるためではないでしょうか。

キリスト信者の共同体である教会は、ライオンズクラブや慈善事業のようなものではありません。キリストを伝える使命こそ、教会はあるのです。パウロのことばで言えば、

『わたしはあなた方に、あなたの間でイエス・キリスト、

それも十字架につけられたキリスト以外

何も知るまいと心に決めたからです。』

(Ⅱコリント2・2)

                            マリオ・バラーロ

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「教会だより」2018年5月

 日本語学校に通っていた時に出会った、最初の日本のことわざは『注意一秒、けが一生』でした。残念ながら、50年経ってこのことわざが、見事に私に当てはまることになってしまいました。この度、私の不注意によって、皆さんと多くの方々に迷惑をおかけしたことをお許しください。早く復帰できるように、5月22日に手術を行いました。

6月5日に退院することになりました。これからリハビリ通いになりますが、全快までしばらく不自由な生活になりそうです。

 

 さて、話は変りますが、5月の教会委員会の皆さんの賛同を得て、「教会委員会だより」は、「教会だより」(仮称)になりました。名前を変えることによって内容も多少変わるでしょう。皆さんのために信仰教育と、互いのコミュニケーションにつながるような目的で作成したいと思います。勿論それは皆さんの協力も必要になるでしょう。

 まず皆さんにお願いしたいのは、今までの委員会報告に、次のようなコーナーを付け加えたいと思うのです。“ひろば(仮称)” とういうコーナーです。そこでは「受洗された方の、洗礼までの信仰の歩み」や、「自分の人生に起こった大事な出来事、その時信仰がどうつながっていたか」などを簡単に書いていただく。

信仰を深める短いわかりやすいことばで、「信仰とその生き方」についての記事、または本や雑誌から印象的な箇所の紹介など。

 お願いとして先ほど書いたように、“教会だより”は仮の名称ですから、もう少し意味があるような「もの」を募集して参考にしたいと思います。皆さんから、どれぐらいの協力を得られるかわかりませんが、きっと皆さんの熱意によってできるのではないでしょうか。

一つのことわざによりますと、

『ひとは、何かをしたくない時、言い訳を探す。やりたいなら、その方法を探す。』

これを読んで皆さんは、どちらの方でしょうか?

 

最後に今月は「イエスのみ心の月」なので、この思いをみ心に委ねて互いに祈りましょう。

​                            マリオ・バラーロ 

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